僕にとって。

2005年6月28日 シコウ
幼馴染から小中学校一緒だったクラスメイトの男の子が亡くなった日の事を思い出したとメールが来ました。
それは確か僕達が高校2年生のときです。
小学校はそれはそれは小さな学校だったので当然話もしましたが
中学校に入ったら全然といって良い位話した記憶がありません。
僕の男嫌いが確立していってしまったのも原因ですが。
当然高校入ったら連絡など取ったことも無く、取ろうと思ったこともなく。
記憶の隅に他のクラスメイトと並んでいた位の人でした。正直。

僕は小学校・中学校は楽しいと思わなかったし戻りたいとも思いません。
その時代の友人もごく少数しか連絡とってません。
ただし連絡取ってる子はとんでもなく仲良しなんですけど。

なんてゆうか。僕基本的に必要以上に友達はいらないと思ってまして。
名ばかりのトモダチならいらないと。
更に言うなら友達だと認識してない人には殆ど興味がないんです。
初めて会う人とか他諸々別な場合は多々ありますけれど。
なんてゆうか興味ない人には本当に興味示さないんですよ。
どうでもいいとまで言うとアレかもしれませんけど近いでしょうね。

まぁそんなわけで亡くなった彼もそうだったんです。特に興味があったわけではないと。
それでも亡くなったと報告受けたときは震えが止まりませんでした。
でもそれは彼が亡くなったというより自分が知っている人間が亡くなったということに対して、人の死に直面したことに対しての震えだったと思います。
涙は一滴も流しませんでした。寧ろ流れませんでした。

一応遊んだ思い出も話した思いでもあるわけなのに悲しいと思えなかった。
ショックだったけどやはりそれは彼の死というより人の死に対してで。
悲しいと思えないことは悲しいことだと思いました。
凄く、凄く冷静にお葬式も参列したし友人が泣いてるのを見てもそれを他人事のように眺めてるしか出来なかった。
欠落した感情とはこのことかと改めてなんとなく理解したり。

今年で3周忌になる彼の死を未だ思い出す幼馴染。
僕は忘れてるわけではないけど殆ど何とも思っていないのです。
彼が僕にとってもっと大きな存在ならば状況は変わっていたでしょうけれど。
友好関係の深さが違うとはいえなんだか自分って冷たいなぁと思います。
いやだなぁって。自己嫌悪ですね。今更ですけど。
はっきり言って僕にとって彼の死より華月君の死の方が大きくて。
それだけ華月君の存在はあたしにとって大きかったってことですけど。
もう少しでいいから他人に興味を持てたならと思います。
難しいけどね。持ちたくて持つものではないですし。
そんなことを思った今日でした。ハイ。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

この日記について

日記内を検索